「質問は受け付けません」
私はモヤモヤしていた。仕事で使えるような知識を学ぶために勉強会に参加していた。
隙間時間に30分、スマホとイヤホン、ネットさえあれば立ったままでも勉強できる。
そう。私はEラーニングを受講していた。社会人2年目で、現場で投薬しているが、何やら役に立ててる感じがしなかった。
例えば、循環器の薬だ。血液サラサラ系がどの疾病で、どの薬が出ているのか分らなかった。できたことは飲み合わせ。飲み合わせなんて、ITを駆使して莫大な情報を入れれば、これからスクリーニングすることもできるだろう。
「薬だけ見ていてはダメ?」
そこで、Eラーニングを受講して、ガイドラインや薬理を学び、疾病と薬が結びつけるよう勉強をした。受講して1ヶ月。たくさんの知識をつけた。
それでも、役に立ててる感じがしなかった。
なんなら、ある時に、患者さんから強烈な一言を言われた。
「あなたの講演を聞いている訳ではない」
ぐうの音も出ないとはこのことだ。
まるで、恐怖で吊り橋の真ん中で足が止まってしまう感覚だ。身動きできなくなり、戻ることも進むこともできない。
どうしていいのか分からなくなっていた
その後、数日間の投薬はあまり覚えていない。
抜け殻のようになり、夕方には頭痛もしてきて、帰りの電車でEラーニングを聴く気力もなかった。
ある休みの日に、アウトドア雑誌を読みに図書館へ行った。そのときに手にしたのが「ソトコト」だ。これは、アウトドア雑誌ではなく、全国のまちづくりに関する内容が纏まっていた。せっかく、手に取ったし、読んでいくと、グイグイと引き込まれていく。まちづくりは、住民が主体になって行動を起こすと書いてある。
「私は勘違いしていた」
まちづくりは、役所が進めていくものだと思っていた。
そうではなく、地域が互いにオープンな関係で、地域にある課題を地域住民同士で解決していく、あとから役所がサポートする。そんなイメージ。
例えば、徳島県神山町はグリーンバレーと呼ばれ、ITの会社が集まっている。まちづくりというよりは、町の政策のように感じることもある。
実態はそうではない。
地元のNPOが仕掛け人になっている。仕掛けているだけではなく、住民の悩みとかを親身になって聞いてくれるオッチャンもいるのだ。これは心強い。また、距離感も絶妙で、干渉し過ぎていない。そのちょうど良い距離感が人を集め、互いに協力する風土になっている。
「これだ」
Eラーニングが悪いわけではない。知識をつけることもでき、投薬のときに薬のプロとして患者さんに論理的に納得してもらえることもあった。
しかし、患者さん個々に生活背景も違えば、価値観も違う。
それこそ、勉強している最中に、あの◯◯さんならばどのようにアプローチをかければいいのだろうか? と脳裏に浮かぶ。
しかし、数日経ってしまうと、疑問に思っていることさえも、忘れてしまう。
やはり、リアルタイムで疑問を解消したい。
また、付き合いで勉強会に参加すると長く続くかないため、ちょど良い距離感と悩み相談を兼ねて、作ったのがライブ勉強会だ。
著名な先生ではない。現場で働く薬剤師と薬剤師をつなぐ、そんなライブ勉強会。
「その日に投薬した患者さんの疑問」をリアルタイムでコメントとして質問ができる。
そのコメントを見て、また話し手の演者も新しい気付きがある。視聴者から教えてもらうこともしばしば。
私が作った場ではなく、いろんな人が一緒になって作り上げることができた。
ひとりで悩まずに、まずはライブ勉強会の扉をノックしてみてほしい。